幸福論
□sping
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「立海大付属高等学校、新入生代表挨拶、綾里鈴蘭」
「はい!」
桜舞う4月。
様々な期待に胸を踊らせて、私は新たな一歩を踏み出した。
「鈴蘭!お帰りなさい。どうだった入学式は?」
「うん、緊張したけど何とかなったよ」
入学式を終えて家に帰ると、先に帰っていた家族に迎えられた。
「景吾の方はどうだったの?」
「景吾のは見飽きちゃったわ!やっぱり私だけでも鈴蘭の方へ行けば良かった」
「アーン?」
今年の春は桜の開花がちょうど入学シーズンと重なって、快晴の今日は絶好の入学式日和。
双子の兄である景吾の通う学校、氷帝学園も今日が入学式だった。
幼稚舎からエスカレーター式の氷帝に通う景吾は、新入生として新たな校舎に踏み入れるたび、新入生代表挨拶をこなしてきた。
それ故、幼稚舎から4回目ともなる今回は、両親にとって感動が薄いらしい。
「やはり鈴蘭の方を見に行くべきだったのかもしれん」
「仕方ねえだろうが。初日から鈴蘭の正体バラしてどうすんだ」
「それもそうだが、せめて録画班を回しておくべきだったな」
入学式と言う晴れ舞台で新入生代表挨拶を任されたというのに、両親を招かなかった理由はいくつかある。
まず第一に、立海で私が母の旧姓の“綾里”を名乗っているからだ。
跡部財閥の名は、世間に広く知られている。
跡部財閥総帥である父・充と、自らも美容系の事業を成功させる母・百合子は、雑誌やテレビなどのメディアでも活躍中。
兄・景吾は、テニス雑誌で氷帝学園の部長として、更には跡部財閥の若き後継者として知られている。
跡部財閥に景吾と双子の妹がいることは周知の事実であるため、両親が立海の入学式に出席しようものなら、いくら綾里の姓を名乗っていても、跡部の娘が誰なのか、きっとすぐにバレてしまうだろう。
「今更言っても遅いだろうが。それに少しでも尻尾を見せようモンならマスコミに嗅ぎつけられて終わりだ」
私は家族の中でも極めてメディアへの露出が少ない。
知られているのは天才リリィと呼ばれたテニスプレーヤーと同一人物ということだけだ。
家族から離れ、アメリカでリリィという名前でテニス中心の生活を送っていた私は、跡部の令嬢であることを隠していた。
だが試合を勝ち進むたびに取材だなんだとパパラッチがおし掛け、とうとうリリィが跡部財閥の令嬢だとすっぱ抜かれてしまったのである。
「鈴蘭も気をつけろ」
「うん」
そして今はテニスも辞め、跡部の令嬢としてもリリィとしても、マスコミから逃げている。
テニス界から突然姿を消した私を追って、家にも何度か取材陣が来たようだけど、病気だの死んだだの勝手な報道をして去って行った。
それから暫く経てば、世の中には別のニュースが溢れていて、私のことなど誰も追っては来ない。
そんな私に両親は“跡部の名を伏せて生きろ”と言ってくれた。
幸いなことに私の顔はあまり世間に知られていない。
名を伏せれば私は普通の女の子になれる。
私はそれに、酷く憧れていた。
しかし名を伏せるということの罪悪感は消えることは無く、妙な後ろめたさを感じていた。
「鈴蘭」
ふと景吾に呼ばれて顔を上げると、心配そうな瞳とかち合う。
「…もう時間だ」
「うん、行こうか」
姿を隠すのに、実家暮らしは都合が悪い。
それにこれから通う立海大付属高校は、ここからはかなり距離がある。
姿を隠す為にも、家族に感じている気持ちを隠す為にも、私は神奈川での1人暮らしを決めた。
「鈴蘭、気をつけるのよ」
「ああ、何かあれば直ぐ連絡しろ」
心配する両親に曖昧に微笑んで、家を出た。
…ごめんね。
罪悪感に苛まれながら、弱い自分に腹が立った。